【レポート前編】アーティストのパラレルキャリア特別授業、タレントの武藤千春さんが語る

 

株式会社エイスリー(以下エイスリー)は日本工学院ミュージックカレッジ 蒲田校と共同で、同学園のミュージックアーティスト科の学生を対象に、2023年4月12日(水)に「アーティストのパラレルキャリア特別授業」を開催いたしました。

日本工学院ミュージックカレッジ蒲田校での、パラレルキャリアをテーマとした授業は初の試み。

タレントのパラレルキャリア・セカンドキャリア支援を行うエイスリーがサポートさせて頂き、実施に至りました。

今回は、そんな授業の様子をお届けいたします!

この記事の監修者

別府 彩
別府 彩タレントキャリアアドバイザー

元フリーアナウンサー/タレント。
大学卒業後、およそ10年間フリーアナウンサーとして活動。31歳のときにグラビア写真集「彩色」(竹書房)を出版。
「踊る!さんま御殿!!」(日本テレビ)に出演するなど、バラエティ番組やラジオパーソナリティ、テレビCMナレーターなどの経験を持つ。
33歳で芸能界を引退、広告代理店に正社員として就職。イベント運営会社、イベントコンパニオン事務所を経て2020年に株式会社エイスリーに入社。
現在は、アナウンサーから会社員という自身の転職経験を活かし、日本初の“タレントキャリアアドバイザー”として、芸能人やクリエイターのパラレルキャリア・セカンドキャリアのサポートを行っている。

Twitter
https://twitter.com/a3_ayabeppu

“アーティストのパラレルキャリア特別授業”とは

昨今アーティストを含め、芸能界で活躍するタレントの間で、本業と並行して他の生業を持つ“パラレルキャリア”が注目されています。

従来、アーティストは音楽一本で活動することを良しとする風潮がありました。しかしコロナ禍でライブの中止が余儀なくされ、アーティスト活動の幅が制限されたことにより、他の自己表現の場や収入を増やそうと、パラレルキャリアの重要性が高まっています。

一方で、パラレルキャリアはまだまだ浸透しておらず、具体的なキャリア像やメリットをイメージできている人は多くはありません。

そこで、アーティストを目指すミュージックアーティスト科の学生を対象に、パラレルキャリアという選択肢を伝える特別授業を開催しました。

日本工学院ミュージックカレッジ蒲田校
日本工学院は、学園創設76年の歴史ある総合専門学校。クリエイター、デザイン、ミュージック、IT、テクノロジー、スポーツ・医療という6カレッジ34学科99の専門分野を網羅。ミュージックカレッジ蒲田校は、ミュージックアーティスト科、音響芸術科、コンサート・イベント科、ダンスパフォーマンス科の4学科を設置している。
国内有数のコンサートプロモーターほか、多数の企業と提携し、多くの卒業生がコンサートや音楽業界スタッフや、ミュージシャン・ダンサーとして活躍している。

 

ゲスト講師は、アーティスト、ファッションブランドプロデューサー、農ライフアンバサダーなど、パラレルキャリアで活躍する武藤千春さん。

武藤 千春(むとう ちはる)
1995年生まれ。2011年~2015年、アーティストとして活動。自己表現は音楽だけではないと気づき、農ライフ、アーティスト、活動の幅を常に広げ、新しい生き方や価値観を発信。
2015年に自身のファッションブランド「BLIXZY」を立ち上げ。2021年には農ライフブランド「ASAMAYA」を立ち上げ、農ライフや地域の魅力を伝えながらフードロス課題解決に向けた規格外・廃棄野菜のレスキュー活動も実施。また、2022年には小諸市農ライフアンバサダーに就任。さらには CHIHARU 名義での音楽活動も再開。
現在は東京と長野県小諸市での二拠点生活を送り、畑での野菜作り・販売に取り組む。

 

MCは、元アナウンサー/タレント、現在タレントキャリアアドバイザーの別府彩が担当しました。

別府 彩(べっぷ あや)
元アナウンサー/タレント。 10年間フリーアナウンサーとして活動。
31歳で遅咲きのグラビアデビューを果たし、「踊る!さんま御殿!!」などのバラエティ番組に出演。
33歳で芸能界を引退、企業へ就職。現在は自身の転職活動での経験をもとに、タレントのキャリア課題解決のための、カウンセリング等を実施。

 

前編では、武藤さんのアーティストデビュー前後のお話をお伝えしていきます。(以下敬称略)

“椅子取りゲーム”の芸能界を覚悟に挑んだ、アーティストデビュー

別府:
幼少期から音楽に親しんでいたそうですね。

武藤:
母親がブラックミュージックを好んでいたことから、物心ついた時からオールドスクールや、ヒップホップなどさまざまな曲を聴いていました。朝はレコードから流れる爆音の音楽で、起きていましたね(笑)

別府:
アーティストを目指して養成所に入られたのは、おいくつの時ですか。

武藤:
2008年、中学1年生(13歳)の時です。

ダンス自体を始めたのは小学校3年生の時です。はじめは小さなダンススクールに通っていました。何年か習っていくうちに、「スキルアップしたい、いろんなジャンルを踊りたい」と思うようになり、養成所に入りました。
養成所ではダンスと歌と、さらに人としての立ち振る舞いも学びました。

別府:
人としての立ち振る舞いとは、どういったことですか。

武藤:
挨拶をしっかり行うこと、人の悪口を言わないことなど、厳しく指導いただきました。

芸能界は、椅子取りゲームじゃないですか。表にでるアーティストも裏方さんも、この道一本で食っていくのは難しいことです。だからこそ、ダンスや歌のスキルと同じくらい、人といかに気持ちよく関わることができるかといった立ち振る舞いは重要だと思います。

別府:
そういった学びを得て、オーディションに合格され、2011年からグループでの活動を始められたのですね。どのような思いでオーディションにチャレンジされましたか。

武藤:
中学3年生(15歳)の時に、「このオーディションに落ちたら、音楽は趣味にして、ちゃんと現実を考えて社会で生きていこう」と覚悟を持って挑みました。

当時、養成所には1,000人ほどの生徒がいました。生徒はランク分けされていて、3ヶ月に一度、ダンスや歌のテストがありました。ランクを飛び級する人、ランクが下がる人を見て、「養成所内でもこれだけ競争が激しいのだから、芸能界はこれ以上の世界なのだろう」と思っていました。

別府:
合格した際には、どのような思いを抱いていましたか。

武藤:
何色にも染まれるような自分でいようと思いました。

もちろん、個性を出すのも一つの表現方法ではあります。しかし、グループでの活動だったため、自分がどういう立ち位置でパフォーマンスをする必要があるのかを意識していました。

別府:
実際にグループとして活動して、どのようなことに苦労されましたか。

武藤:
レッスンやトレーニングももちろん大変でしたし、また、周囲の大人やチームメイトに自分の意見をどう伝えるかに苦戦しました。

決して周りと仲が悪いわけではなく、仕事となるとぶつかることがあります。プロだからこそ、妥協できない部分があったりするじゃないですか。

お金をいただいている以上、馴れ合いではなく、プロとしてやっていくことを意識しないといけないと思っていて、そのうえでのコミュニケーションに葛藤していました。

別府:
苦労された一方で楽しかったことや、やってみて良かったことはありますか。

武藤:
人との出会いですかね。

デビューして、第一線で活躍しているさまざまな方と関わらせていただきました。「こういう仕事あるのか、こういう風に誇りを持って作品を作っているのか」と、プロの仕事や姿勢を見れたことは一番楽しかったですね。

デビューの夢を叶えても葛藤と不安を抱えていた19歳

別府:
その後グループを卒業された際には、どのような心境でしたか。

武藤:
もちろん何か一つを突き詰めてやっていくことに憧れていましたが、一度きりの自分の人生だから20代ではもっと横幅を広げたいと思いました。

幼い時からずっと音楽だけに取り組み、突っ走ってきました。一方で、学校での勉強はおろそかにしてきました。英語でいうとbe動詞がわからないぐらい、勉強ができなかったのです。私がいざ音楽活動をできなくなった時、何ができるんだろうとすごく不安になりました。そして2014年の19歳の時に、グループの卒業を決めました。

別府:
実際に一つ夢を叶えてもそういった葛藤があったのですね。

武藤:
そうですね。さまざまな現場に行って、芸能界での椅子取りゲームを経験したからこそ「私はアーティストの世界だけでずっとやっていくのは難しいだろうな、例えば50歳、60歳になって同じクオリティでパフォーマンスをやるのは体力的にも難しいだろう」と思いました。

そう感じつつも、当時は、今までと同じ環境でこれまで築いた自分の強みを生かしてやりがいを感じながら何かに取り組める自信はありませんでした。それならこれまでとは違う環境で「ゼロから何かを始めて自分の可能性をもっと知りたい、 自分のやりがいを感じられることを見つけよう」と思いました。

それを想像しただけでワクワクしました。「私、音楽以外にもめちゃくちゃ才能を開いちゃうんじゃない!?」と思いながら、前向きに卒業したことを覚えています。

古着屋でのアルバイトではなく、自分のファッションブランドを立ち上げた理由

別府:
卒業されてから数ヶ月後の2015年に、ファッションブランド「BLIXZY(ブライジー)」を立ち上げたのですね。このお写真はいつ頃ですか。

ファッションブランド「BLIXZY(ブライジー)」

武藤:
2018年、23歳の頃です。原宿や渋谷109に直営店を出しました。今はECメインに販売しています。グループを卒業した当時は、何をやるかは全く決めていませんでした。

別府:
ブランドを立ち上げようと思ったのは何故なのですか。

武藤:
約4年間のアーティスト活動を通して得た、応援してくれる方々とのつながりを途切れさせちゃいけないと思ったためです。

もともとは古着屋さんでアルバイトをしようと思っていました。洋服が好きだったこと、そしてアルバイトの経験がないことを恥ずかしいと感じていたためです。

しかし、いつかまた音楽をやりたいなと思った時に応援してくれる方々とのつながりが力になると思い、自分のブランドを始めてみようと考えました。

別府:
ブランドでは、さまざまなポジションでお仕事をされているようですね。

武藤:
さまざまなポジションというより、私一人で取り組んでいます。デザインアプリケーションソフトを使い、洋服のデザインも行っています。

ブランドを立ち上げた当時は、洋服の勉強をしていたわけではありません。また周りには、洋服の作り方、会社の作り方を教えてくれる人はおらず、先生はいつもGoogleでした。

Googleでアパレル縫製工場を10社ほど調べて、アポイントを取りました。「19歳の女の子に何ができるの?」 と言われたこともあります。

なんとか工場を見つけて、担当の方に洋服のイメージを口頭などで伝えて作り始めました。上がってきた洋服のサンプルがイメージと違うこともあり、「洋服づくりは向いていないかな」と思ったこともあります。

なんだかんだこれまで8年間続いており、 今ではスムーズに仕事を進めることができるようになりました。

別府:
今のお話を聞いて、 武藤さんの行動力の凄さを感じました。

武藤:
「わからないからとりあえずやってみる、やってみたら何かわかる」と思いながら、ずっと取り組んできました。ロールモデルはいなかったため、動くしかないと思っていました。

自らの心境の変化に真っ直ぐ向き合い、アクションを起こしてきた武藤さん。
後編では、グループ卒業後の、パラレルキャリアとしての活動を深掘りしていきます。