元TBSアナウンサー国山ハセンさんの「伝えたい思い」を軸にしたキャリアPIVOT 〜タレントキャリアアドバイザー 別府 彩が聞く!〜

 

国山ハセン
1991年1月5日生まれ。東京都出身。元TBSアナウンサー。2022年末に同社を退社。
現在はWEBメディアを運営する株式会社PIVOTでプロデューサーとしてコンテンツ作りに取り組みながらタレントとしても活動中。

この記事の監修者

別府 彩
別府 彩タレントキャリアアドバイザー

元フリーアナウンサー/タレント。
大学卒業後、およそ10年間フリーアナウンサーとして活動。31歳のときにグラビア写真集「彩色」(竹書房)を出版。
「踊る!さんま御殿!!」(日本テレビ)に出演するなど、バラエティ番組やラジオパーソナリティ、テレビCMナレーターなどの経験を持つ。
33歳で芸能界を引退、広告代理店に正社員として就職。イベント運営会社、イベントコンパニオン事務所を経て2020年に株式会社エイスリーに入社。
現在は、アナウンサーから会社員という自身の転職経験を活かし、日本初の“タレントキャリアアドバイザー”として、芸能人やクリエイターのパラレルキャリア・セカンドキャリアのサポートを行っている。

Twitter
https://twitter.com/a3_ayabeppu

テレビ局はやりたいことの宝庫だった。人生の重要な土台を築いたアナウンサーのキャリア。

―― 国山さんがアナウンサーになったのはどういった経緯だったのでしょうか。

僕は大学では商学部だったので、マーケティングや経営に興味がありました。さらに国際協力の分野にも興味があったので、両方を学んでいました。長らくサッカーをやっていたことからサッカーの仕事にも魅力を感じていましたし、エンターテイメントの世界に魅力を感じていました。テレビ局には全部自分のやりたいこと、好きなものが詰まっていると思い志望しました。

当時はメディアの中でもテレビの影響力は非常に強かったですし、そこにテレビの魅力を感じていました。アナウンサーになって取材をして自分の言葉で伝えたいという気持ちもありました。

大学生の就職活動では、アナウンサーの採用試験が一番早い時期に行われるので、受かったらラッキーくらいの気持ちで受けたところ、そのまま内定をいただきTBSに入社を決めました。

―― アナウンサーとしてどんなビジョンを持って入社したのでしょうか。

アナウンサーになると、ある程度は自分で分野を決めます。面談では、やりたいことをより具体的に伝えたほうがいいなと思っていたので、一年目から「MCになりたい」と言い続けていましたね。

サッカー情報番組の「SUPER SOCCER」(TBSテレビ)を担当したい、サッカーワールドカップにも行きたいという理由でした。

スポーツ実況のような専門性を深く掘り下げるよりも、割と幅広くオールジャンルで情報バラエティーをやっていきたいというビジョンも伝えていて、結果的に実現することができました。

―― アナウンサーという職種に就いて得られた経験やスキルはどのようなものでしたか。

本当に多くの経験をさせていただきました。

得たものの一つは「聞く力」ですね。自分で能動的に情報をキャッチする力、情報感度もそうですし、人の話を聞くことができることは一番磨かれた重要なスキルだと思います。

あとアナウンサーはキラキラした職業に見えて実際はそうではないとよく言われていますが、とは言ってもテレビに出ている瞬間は特別な空間で、特殊な緊張感があります。そこで求められる瞬発力やスキルはとても高度なものです。この経験はかけがえのないものだと思います。

また、番組でご一緒する方たちは一流のタレントさんや第一線で活躍するアスリートの方たちです。彼らの様々な人生論を聞くこともそうですが、番組などでご一緒する貴重な経験が自分自身のことを考えるきっかけになったことはとても良かったと思っています。

自分の人生の重要な土台をアナウンサーとしての10年で築くことができましたね。

―― そういった様々な方たちと話をすることは、アナウンサー自身も人間力がとても大切だなと私は思っているのですが、いかがでしょうか。

おっしゃる通りですね。人間力、相手の懐に入る力、そこが問われる仕事なので非常に難しいなと思います。番組によって自分のポジションや役回りを変えながらスキルを発揮していかなければなりません。

表向きはトークを回しながら、実際は五つくらいのことを同時に考えていますね。相手の話を聞きながら、次は誰に話を振るか、カメラはどこを撮っているのか、サブからはどういう指示が来ているか、フロアディレクターはどういう動きをしているかなど。

視野の広さと対応力が磨かれる仕事だと思います。

―― 瞬間的な判断力も養われますよね。一方で、アナウンサーとして働きながらギャップを感じたことはありましたか。

恐らく世間で一番認知されていないと思うのですが、アナウンサーは「発信する」側の仕事に見られがちですが、実はそのためのインプットの量が非常に重要で、それが大変でした。

インプットの方法も誰かに教えてもらえるわけではなく、自分で能動的に常に情報を吸収しなければならないのが苦労したことの一つですね。今でもその経験がすごく生きています。

もう一つはアナウンサーというのはキャリアパスがそれほど明確ではないことです。僕は運良く自分の希望を叶えられましたが、1年目からこういうことをやりたいと言っても意思決定が自分に委ねられているわけではなく、運という要素もあり、必ずしも思う通りにはならないということ。また、その評価基準、何を持ってアナウンサーが評価されるのかというところの葛藤はリアルにありましたね。

キャリアの選択肢が広がった現代。転職の可能性はずっと考えていた。

―― 国山さんがTBSでアナウンサーをされていたこの10年はメディア業界の勢力図が大きく変わった時代だったと思います。その渦中で、どのようなことを感じていたのでしょうか。

アナウンサー5年目くらいの時期だったと思うのですが、AbemaTV(現在のABEMA)が出てきたり、YouTubeが話題になり始めたりした頃を鮮明に覚えています。

DAZN、Netflixなどストリーミングサービスが出てきて、地上波はTVerを始めたり、その中で、今後メディアは大きく変わっていくのだろうなと漠然と感じていました。

それが番組にどのように影響するのかは分かっていませんでしたが、思ったより流れが早かったというか、実感としてこの2、3年で劇的に変わっていったなと感じます。

リーチする人の数、視聴者の数は圧倒的にテレビが多いので、テレビのパワーが落ちているとは思いません。しかし、テレビを見ている年齢層がどうしても高齢化しているとか、メディアの勢力図が変わってきているというのは徐々に感じていましたね。

2、3年前までは局のアナウンサーがSNSを通じて情報発信することは会社から禁止されていました。WEBメディアはテレビとは違う、テレビが上にいるという感覚が、あの頃は僕も含めてやっぱりあったと思います。僕は今、WEBメディアに来てみて思うのですが、テレビがこれからどのように変わっていくべきなのかを考えるきっかけになっていますね。

―― テレビ局のアナウンサーの転職が話題になるとき、理由の一つとしてWEBメディアの台頭という点と結びつけて考えられますが、国山さんご自身の転職に影響はありましたか。

これまでも男女関係なくアナウンサーから別の途へ転職する方はいました。きっかけはライフステージの変化やアナウンサーとしてやり切ったと思えたタイミングだったり色々あったと思います。

ただ、今はキャリアの選択肢がとても増えたなと思います。世の中の流れもそうですが、僕らの世代は、大企業からスタートアップに行くという人も増えています。その流れに相まって僕も辞める決断をしましたし、少なくとも影響を受けているのは事実ですね。

―― 2022年12月に退職されましたが、転職についてはいつ頃からどのように考えていましたか。

正直に言うと、ずっと考えていました。

自分のキャリアを毎年考えていました。朝の情報番組のMCに就任した時に、目標が一つ達成できて、番組を長く続けたいと思っていたら番組が終わってしまって、また自分のキャリアを考え直すことになりました。次には「News23」の出演が決まって、もちろんまた頑張ろうと思ってやってきたのですが…。色々な番組をやらせてもらって、見える景色がだんだん変わらなくなってきたというか。ある程度のことはもうできるようになって、ここから先は多分自分で何かクリエイティブというか、ゼロからイチを作れるようになるかどうかが重要だと思いました。

テレビ局での未来はなんとなく想像できてしまったのです。そのままいれば、もしかしたらMCができたかもしれないし、メインキャスターがやれたかもしれない。でもその未来はなんとなく見えていました。

今、PIVOTに来てみて10年後はどうなっているか全く見えないのですが、見えないからこそすごくワクワクして、そのことに魅力を感じて決断できたのだと思います。

―― PIVOTに転職を決める前、選択肢は他にもありましたか。

2、3年前にフリーアナウンサーという道も考えた時がありました。

転職エージェントに相談してみたこともあります。他の企業の年収や他業界の事情などを聞くことができてとても楽しかったのです。

世の中は自分が思うよりもっと広いし、キャリアに関しても色々な選択肢があって良いというのは漠然と思っていましたが、その時はまだ自分のやりたいことがテレビの世界にあったので続けてきました。

PIVOTに出会ったのは2022年の春頃でした。PIVOTなら自分のキャリアを生かすことができて、更に視野も広がる。会社ができたばかりの創業期に関われるチャンスは今しかないですし、いくつかの要因が重なってスパっと転職を決断できたというのが本当に正直な所ですね。

―― 世の中のニーズや自分の可能性を知るためには、転職市場を見てみるのも視野を広げる一つの方法ですよね。

そうですね。一般的に転職はキャリアアップが目的ですが、リアルな話、テレビ局は年収も高いし、働く環境においてもそれを上回る環境はなかなか日本では多くないので転職は簡単ではないと思いました。でも今後は変わっていくと考えています。

人材が流動化していくことはポジティブな側面もあるからです。

テレビからWEBメディアに来た僕は、引き続き出演もしていきます。色々なキャリアを持つ人が移動することによってロールモデルも増えていきますし、それは良いことだと思っています。

PIVOTとの出会いは必然だった!?アナウンサーのキャリアの先にあるものとは。

―― 国山さんが「PIVOTのプロデューサーに就任」というニュースが出た時、番組制作もしながら出演するというのはアナウンサーの新しいキャリア構築の形だなと感じました。

アナウンサーも話すだけでなく、実際は番組に企画を提案したり、ある程度現場をまとめて放送に持ち込んだりしているので、それも番組作りですよね。そういう感覚を持っていれば他のメディアや環境に移っても、ものづくりをしているということは一緒なのだと思います。

アナウンサーのキャリアだけにフォーカスすると、表現力を極めていく形もあれば、制作に携わっていくという形もあってもいいのではないかと考えました。

まだまだできないこともたくさんありますが、経験を積んでいけば面白い将来があるのではないかという感じですね。

―― PIVOTで今、国山さんはどんなことをやっているのでしょうか。

元々ビジネスメディアに興味はあったのですが、PIVOTに来る時は具体的なイメージはあまりなくて、それこそ肩書も決まっていませんでした。

最初はMCという肩書を提案されたのですが、僕は制作ができるようになりたかったので、自分から「プロデューサーにしてください」と志願したのです。

PIVOTは組織がまだ小さいので全員が番組作りをしています。

僕が企画をして、早速実現したのが『30‘s』です。僕と同世代の30代の経営者やアスリートの方と本音トークをする番組が作りたくて、実現したのですが、嬉しかったですね。

―― 実際に番組作りをゼロからスタートしてみて、いかがでしたか。

初回はBASE株式会社の創業者の鶴岡裕太さんをゲストにお呼びしました。元々はプライベートでお会いしたことがあって、同年代なのにすごく優秀な方だなと感じていたのです。僕がスタートアップ企業に来たので、ぜひ対談したいと思い出演をお願いしました。撮影場所のロケハンをして、予算管理して、技術発注して、と初めての仕事もたくさんありますが、それら全ての作業も含めて番組作りは面白いと感じました。

―― 鶴岡さんのような才能のある若手起業家とじっくりトークできる番組は、PIVOTのようなメディアならではですよね。テレビ局の番組作りとはまた違うことも色々ありますよね。

そうですね。テレビ局ではインタビューに1時間以上の時間をかけながら30秒くらいしか使わないなんてこともありました。編集もインタビューをした自分がするわけでもないですし。テレビは基本的にチームプレーなのですが、もっと改善できることはあるなと課題に感じていました。

YouTubeが力を持ち始めた頃、僕はその奥深さを理解していませんでした。YouTuberの方は自分で企画から生み出して編集もして、それだけで自己表現じゃないですか。

自分たちが発信したいものや表現したいことを形にしているのかと、とても勉強になります。

―― 10年間勤めてきたTBSを離れて、今どのように感じているのでしょうか。

TBSから離れて、視野が広がったと思います。今もTBSの人にも会いますが、他局の方にも会ったりするので、活動の幅が広がったのはポジティブな面ですね。

TBSに育てていただいた恩はとても感じていますし、色々な現場に取材に行くことができるのはテレビの魅力でしたね。メディアのパワーバランスが変わってきてはいるけれど、テレビの影響力の大きさとか一つ一つのスキルの高さは変わりません。

僕はPIVOTというWEBメディアでも働きながら今後もテレビにも出演するので、両方が見えているのは良いことかなと思いますね。

あとは、一度転職を経験すると、辞めて挑戦することが怖くなくなりました。自分の決断力、責任感というのが増してくるのでそこはとても大事なポイントだと思います。

Twitterでつぶやいた「オーナーシップを持つという事」の真意とは。

―― 先日国山さんがTwitterでつぶやいていた「転職して良かったのは自立とは何かを理解できた、オーナーシップを持つという事」という言葉が気になっているのですが真意を教えてください。

後輩と飲んでいるときに出てきた言葉ですね(笑)その後輩がとても尊敬している上司に「キャリアオーナーシップを持つことが大事だよ」と言われたそうなんです。

会社や組織に属していると、その組織をとても巨大なものに感じていて、自分のキャリアに関して、能動的に動かないものですよね。大企業は特にそうかもしれません。

僕は転職をして環境が変わり、世の中の人はこんなにヒリヒリした環境でやっていて自立とは何かを理解して、キャリアオーナーシップを持って生きているのだと感じました。

テレビ局アナウンサーの時は、どうしても他人の評価軸が重要で、なぜ評価してもらえないのだろうと疑問に感じることもありました。でも今の僕は自分自身のキャリアに責任を持って意思決定できているのだと、後輩と話していて改めて実感したのです。

―― そういう意味だったのですね。私の心にもグサッと刺さりました。国山さんがセカンドキャリアのスタート地点としてPIVOTを選んだ理由はどんなことだったのでしょうか。

PIVOTの行動指針の一番始めに「我々はプロスポーツチームだ」という言葉があります。

そこに一番感銘を受けました。PIVOTは一人ひとりのプロフェッショナルが集まっている会社です。言葉を選ばずに言うと、それぞれがPIVOTという組織を利用しているのです。

会社を利用して自分自身のキャリアアップを目指している集団なので、みんなPIVOTを愛しているけれど一生ここにいるとは思ってはいないというか、いい意味でそういう感覚、アスリートがチームに所属して移籍していくような感覚を持っていると思います。

僕はいかに自分の能力や価値を高められるかが重要だと思っていますし、それがスタートアップ企業に参画する醍醐味だと思っていますね。

―― まさに、自分のキャリアに「オーナーシップを持つ」ということですね。PIVOTに限らず、これからの国山さんのキャリアや人生で実現したいことはどんなことですか。

まだ先は見えないですが、ものづくりは一貫して好きなことには変わりません。だから今のPIVOTでの目標は、自分の作った番組をヒットコンテンツにすること、とくに同世代の視聴者を一人でも増やしていくことです。

あとはまだわかりません。5年後には意外とテレビでキャスターをやっているかもしれないし、政治家を目指しているかもしれないし、起業しているかもしれない。

でも一貫して「伝えたい」という思いが僕にはあります。伝えることで社会貢献をしたい、というのは就活の時から言っていたのですが、その軸はぶれずにその手段としての職業があればいいと思っています。

 

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