“「めざましテレビ」のちかちゃん”が企業の広報に!? 結婚・出産を経て挑戦したアナウンサーからのキャリアチェンジ 〜タレントキャリアアドバイザー 別府 彩が聞く!〜

“タレントキャリアアドバイザー”別府彩が聞く!タレントのキャリア特集。
「めざましテレビ」(フジテレビ系列)のお天気コーナーや情報キャスターとして、毎朝、癒やしを届けてくれていた高樹千佳子(現在は多田千佳子)さん。
20代は順調に歩み続けてきたアナウンサーのキャリアも30代に入ると徐々に変化。
そして結婚や出産がその後の働き方を考えるきっかけになったそうです。
多田さんの転職当時の葛藤やどのような経験をされたのか、お話を伺いました。
多田千佳子(旧姓:高樹)
元フリーアナウンサー。大学在学中に「めざましテレビ」のお天気キャスターとしてデビュー。
「めざましどようび」「すぽると!」(フジテレビ系列)、「NIKKEI×BS LIVE 7PM」(BSジャパン)などに出演。2013年に結婚、2016年に第一子出産。
現在は株式会社オープンハウスグループ(以下、オープンハウス) 広報宣伝部の社員として勤務している。
この記事の監修者

元フリーアナウンサー/タレント。
大学卒業後、およそ10年間フリーアナウンサーとして活動。31歳のときにグラビア写真集「彩色」(竹書房)を出版。
「踊る!さんま御殿!!」(日本テレビ)に出演するなど、バラエティ番組やラジオパーソナリティ、テレビCMナレーターなどの経験を持つ。
33歳で芸能界を引退、広告代理店に正社員として就職。イベント運営会社、イベントコンパニオン事務所を経て2020年に株式会社エイスリーに入社。
現在は、アナウンサーから会社員という自身の転職経験を活かし、日本初の“タレントキャリアアドバイザー”として、芸能人やクリエイターのパラレルキャリア・セカンドキャリアのサポートを行っている。
Twitter
https://twitter.com/a3_ayabeppu
目次
大学在学中に人気番組のお天気キャスターとしてデビュー!順調に歩んだアナウンサーのキャリア。30代に入って徐々に変化が・・・
―― アナウンサーのキャリアはどのようなきっかけでスタートしたのでしょうか。
大学では建築を専攻していました。自分で作った模型や図面をプレゼンする授業があり、自分の言葉で自分の考えを伝える、発表する楽しさに気付きアナウンサーを志すようになりました。
大学2年の時にテレビ朝日のアナウンサースクールに通い始め、大学4年生の4月に「めざましテレビ」のお仕事が始まりました。
「めざましテレビ」ではお天気キャスターや「めざましどようび」の情報キャスターなど、トータルで8〜9年ほどお世話になりましたね。
―― あの頃、アナウンサーとしてキラキラ輝いていた印象です。年齢を重ねていく中で将来について考えることはありましたか。
20代は次々とお仕事をいただいて順調だったと思います。20代が恵まれていたことに気づいたのは少し仕事が減ってきた30代半ばを過ぎた頃でしたね。
周囲の同年代の友人が次々と結婚していき、仕事はもちろんプライベートについても考え始めました。
特にフリーアナウンサーの仕事は、男性ファンの方がいてこそ成り立つ面もあり、結婚することで失う仕事もあるかもしれないと思いました。しかし、まだ経験したことのない報道や経済番組のMCまで行き着きたい。そんな葛藤の末、もう少し仕事を頑張ることにしました。
32歳の頃にテレビ東京でBSの経済番組のMCを任せていただくことができましたが、番組が1年で終了。34歳のときにご縁があって結婚をしました。
当時、アナウンサーの先輩方は結婚を機に家庭に入ったり、仕事をセーブすることが多い時代でした。
私自身は、40歳までは仕事も頑張ろうと思っていたのですが、20代と比べて仕事量は減少。
年下の後輩も増え、世代交代もあり、需要自体が減っていく危機感が強くなりました。
そんな中、子どもを授かり37歳で出産。夫も仕事が忙しいため、昼間の子育てはほぼ一人でやっていました。
外とのつながりを求める気持ちはあっても、アナウンサーの仕事では実現しにくく、仕事がない時は社会から取り残されるような感覚に陥ります。自分の気持ちの安定を図る意味でも、一般企業で堅実に勤める方が自分には合っていると考え、転職を決意しました。
アナウンサーのキャリアを武器に挑んだ転職活動。入社後は慣れない業務で初歩的な失敗。
―― 転職活動はどのようにされたのでしょうか。
40歳を前にしながら育児中のため決まった時間しか働けませんし、一般企業での就業経験もありません。
このままではどこにも雇ってもらえないと思い、まずは資格を取得することにしました。
大学で建築を学んでいましたし、アナウンサー以外なら住宅関係の仕事をしたかったので宅地建物取引士を取得して、転職エージェントに登録をしました。
―― 経歴書や面接ではどんなことをアピールしましたか。
経歴には、所属していたアナウンサー事務所の名前と期間、出演した番組名を記載して提出しました。
その結果、8社ほど応募して、そのうち2社が面接に繋がりました。
面接では、アナウンサーとして生放送も担当していましたので、ハプニングが起きた時の対応力をアピールしました。
さらに宅建を取得していること、大学時代に建築を学び、住宅が好きだという思いを伝えました。
オープンハウスの面接では、私と同じ世代で子育て中の女性が面接官でしたので、ここなら子育てと仕事を両立できると感じました。さらに、私の出演番組を見てくださっていたというお話も聞いてとても親近感がわきました。
―― 入社して働く環境も大きく変わりましたが、苦労したことはありませんでしたか。
アナウンサー時代はそもそもブログを書くことでしかパソコンを使っていなくて。
「PDFって何ですか」と部長に聞いたくらいです。
容量の大きなデータファイルをメールにそのまま添付してしまい、何度やっても送れなかったこともあります。
ファイルサイズが大きいことが原因であることを当時は分かりませんでした。
大容量データファイル送信サービスがあることを初めて知って「こんなものがあるんですね!」と言っていたので、心の中では笑われていたかもしれません(笑)。
周りの方がとても親切にすべて教えてくださったため、本当に助かりました。
多様なキャリア採用を行っているオープンハウスグループ。アナウンサーキャリア17年の発信力と知名度を活かして新たな企業PRに貢献!
―― 会社は、多田さんには期待することがあって採用されたのだと思いますが…入社後はどのような業務をされているのでしょうか。
広報宣伝部に配属になりました。
子育て中だったため、お客さまに合わせた時間で仕事をすることが多い営業のような仕事は難しいと思いますし、決められた時間で前職の経験を活かすには最適な部署だったと思います。
現在の業務としては、リリース関連、メディアからの取材対応やメディア露出全般のチェック、InstagramとYouTubeも担当しています。
また、弊社1社提供のラジオ番組を毎週土曜日にTokyo FMで放送していて、ビビる大木さんと一緒にパーソナリティーを務めています。
この番組は私がいなければ始まっていなかったかもしれません。
会社は、私に仕事ができる場を与えてくれているんです。
それは、会社がまだ成長段階で、領域を広げていく途上だったからこそできたことだと思います。
成熟した企業ではなく、成長途上の企業を選んで良かったと思っています。
―― 会社にとっても、多田さんにとっても、チャレンジできる環境だったということが、双方にとってハッピーだったように感じます。
オープンハウスは、中途採用の割合が多いんです。
元官僚や、広告代理店、美容師、ホテルマン、築地の仲買人、本当にさまざまです。
私たちの部署も大手広告代理店出身の部長、箱根駅伝で2度優勝経験のある矢澤曜さん、仮想通貨やブロックチェーンにも精通している広報経験者の課長など、特徴的なキャリアのメンバーが集まっています。
新しい人が入ってくると、会社は活性化しますよね。
「やる気のある人を広く受け入れ、結果に報いる組織を作ります」と企業理念にあるように、やる気さえあれば、チャレンジができる会社なので、私も入ることができましたし、会社も大きく成長ができているのではないかと思います。
―― 未来のお話も聞かせていただけますか。
会社としては今、代表の出身地である群馬での地方創生事業に力を入れています。
また、セカンドキャリアを築こうとしている人を広く受け入れている会社なので、そういった人たちから生まれる新たな事業にも大きな期待ができます。
そして、やはり女性の働き方ですね。
ここ2~3年で大きく改善されて、非常に女性が働きやすい会社になってきました。
特に新卒で入社した女性が年次を重ねると、結婚や出産という壁にぶつかります。
女性がより働きやすい環境、仕事と家庭を両立しやすい環境を今整えています。
ゆくゆくは女性の役員や管理職の割合が増えていくでしょう。
経営層に女性が増えると、他の女性社員も働きやすくなりますし、これから先もさらに良い方向に変わっていくと感じています。
―― 多田さんご自身がそういった変化を対外的にアピールする広告塔にもなれますよね。
前職をやめてから3年以上になりますが、覚えていて声をかけてくださることは本当にありがたいことです。
チャンスをいただけたら、積極的に発信していきたいと思っています。
これまでの経験を活かせる仕事があることは、本当にありがたいことです。
アナウンサーをやめた頃を振り返ると、自分が求められていないことがつらかったんです。
「仕事がなくなってきた。もう必要とされていないのかもしれない」と番組改変の時期のたびに不安になることが精神的にきつくて、自分には向いていないと思ったんです。
会社員以外でも、自分が求められているところで活躍できれば、気持ちは満たされると私は思います。今、必要とされるところに身を置けているのは、とてもありがたいことです。
もちろん組織の中では様々な約束事やルールがありますし、成果も出さなければいけません。それを苦しく感じることもありますが、必要とされていないつらさに比べれば、乗り越えていけます。「それでも、ここにいられる」という揺るぎないものがあることは、精神的な安定や安心につながっていると思います。
―― これからのますますのご活躍に期待しています!
ありがとうございます!