株式会社クレデウス・代表取締役 松橋真三氏が語る 映画業界での働き方と求められる人材像

 

『エンタメ人』がお届けする、エンタメ業界のトッププロデューサー/経営者へのインタビュー連載。エンタメ業界へ転職を考えている方たちへ向けて、若手時代の苦労話から現在の業界動向までを探っていく。第22回は、映画制作の会社を取り上げる。(編集部)

プロフィール

松橋真三(まつはし・しんぞう)

映像制作会社クレデウス代表取締役。1969年生まれ。青森県出身。2000年『バトル・ロワイアル』より映画プロデューサーとして活動。近年の代表作は、『新解釈・三國志』(2020)、『キングダム』(2019)、『銀魂』シリーズ(2018、2017)、『50回目のファーストキス』(2018)など。『キングダム』と『銀魂』では、それぞれ優れたプロデューサーに贈られる藤本賞・特別賞を受賞している(2019、2017)。最新作は、2021年6月25日(金)公開の『夏への扉-キミのいる未来へ-』。
※取材当時の情報になります

映画を中心にコロナ禍においても大ヒットを飛ばし続ける

──まずは、クレデウスの事業内容について教えてください。

当社の事業内容は映画を中心に、テレビドラマ、CM、ミュージックビデオなど、映像制作にまつわる企画提案、開発、制作、受託事務、及び作品への制作出資などです。基本的には映画の制作を中心にしていますが、昨年はCMの分量も増え8本ほど制作していますね。

──直近の作品についてもお伺いできればと思います。映画「新解釈・三國志」は2020年末、コロナ禍で公開されましたが、多くの人が映画館に足を運ぶことに二の足を踏んでいた時期ですよね。

そうなんですよ。コロナ禍の影響はあったかもしれませんが、(興行収入が)40億円を超える大ヒットとなりました。年間の興行収入ランキングも3位です。昨年は年間1位が「鬼滅の刃」でしたが、2位が「今日から俺は!!劇場版」で、こちらも福田雄一脚本監督作品で当社で制作を担当しました。福田雄一監督とは、2014年の「女子―ズ」からずっと一緒のパートナーです。

その前年の2019年は「キングダム」が57億円を超えるヒットとなり実写邦画1位を記録し、2018年には「銀魂2」「50回目のファーストキス」がヒットし、2017年には「銀魂」が実写邦画1位を記録と、すごい流れでヒットが続いており、本当に幸運です。

「世界で最も色んな国の映画が見られる」東京へ

──松橋さんは早稲田大学法学部卒業でいらっしゃいますが、なぜ法学部を目指されたのでしょうか。

「文学部に通うと稼ぐことは難しい」と、両親や兄から言われていました。本当は映画業界を目指すために文学部に行きたかったのですが、「どうやって食べていくんだ」と言われて、そういうものなのかと。そのため、受験したのは法学部や経済学部が中心で、結果として早稲田大学に入学しましたが、入学後も映画の仕事をしたいという気持ちは変わりませんでしたね。

──映画の世界で働きたいと思ったのはいつ頃でしょうか。

子供の頃から映画と漫画が好きでした。小さいころは漫画家になりたいと思っていて、中学生の時の夢は映画監督でした。

出身が青森県十和田市で、人口が5万~6万人くらいの街だったため、当時映画館がありませんでした。幼い頃はレンタルビデオもない時代で、テレビの「金曜ロードショー」や「月曜ロードショー」などでしか映画を見る機会がなかったのです。でも映画が大好きだったので、中学生くらいになると八戸市にバスで1時間ほどかけて行き、朝から映画を4本ほど見て帰ってくるということを月に1、2回、ずっとやっていました。「E.T.」や「バックトゥザフューチャー」「ロッキー4」「スター・ウォーズ ジェダイの復讐」などが公開された時期なので1980年代のことですね。

なぜ東京の大学に行きたかったかというと、映画がたくさん見られるからだったのです。当時、渋谷や銀座が単館シネマブームでもあり、世界で1番いろいろな国の映画を見られるのは日本の東京だと言われていたので、東京の大学に進学しました。

いつかは会社に入社し働くのだろうと思いながら、映画は趣味でたくさん見るつもりでした。しかし岩井俊二監督の「Love Letter」を見た時、日本でもこんな素敵な映画が作れるなら自分でもやってみたいと思ったのです。

しかし、映画業界に行くにはどうすればいいのか悩みました。当時、東宝も東映も自社ではあまり映画を制作しない時代に差しかかっていて、どこの企業が一番映画を制作しているのか調べてみたところ、当時、WOWOWが開局されたばかりで、低予算でも質の高い映画をたくさん作っていたのです。それを知ってWOWOWに入社したくなり、試験を受けました。

人前で話す営業経験が今のプロデューサー業務の基礎を作った

WOWOWに入社したら配属先が営業でした。広告代理営業ではなく加入者を獲得するための代理店への営業です。自分が担当したのは百貨店やスーパーで、全国の販売員さんにWOWOWの加入方法を伝え啓蒙し、加入促進するという仕事で、映画やドラマを制作することとは全く異なった仕事でした。

それらの仕事に対して、自分の希望とは少し違うと感じていましたが、生活もありますので、どのような仕事であれこなす必要があると思っていました。

田舎から上京してくる=失敗したら帰るということでもあるので、全てが一発勝負です。そこで負けてはいられないわけですよね。どんな仕事であろうがちゃんとプロフェッショナルになれば、やりたい仕事はいつか必ずできると思っていたんですよ。最悪自分でやればいいですし。

営業の仕事をがんばれたのは、当時WOWOWに在籍していた上司が尊敬できる良い方で、大事にしてもらえたというのがあるかもしれません。当時課長でしたが、今は出世して取締役となっています。

その時に感じたのは、何の仕事であれ「3年は必ずやるべきだ」ということです。自分がやってみてわかったことですが、1年目は何の仕事をすればよいかをまず学びます。2年目はその復習で、3年目に初めて自分の味を出すことができるのです。季節を通じて1年の間にいろいろなことがあり、それで初めて1年が成り立つんだな、と。そして石の上にも三年というのは、そういう意味なのかなと思いました。

そのため若い人には、行きたい部署に配属されなかったから辞めるというのは決して良いことではないと伝えたいです。与えられたらどんな仕事でも3年間はやった方がよいのではないかと思います。

その3年間で電話の取り方、掛け方など、社会人の基本を学びました。営業とはいっても、WOWOWは創立したての会社だったので、相手はどのような会社か認知してはくれません。アンテナを作っている会社とも勘違いされました。そのため飛び込みの営業電話を特訓だと思って、やたらとたくさん掛けていたのです。

アポが取れたらそこへ行って、キーパーソンに対してWOWOWの説明をしたり、家電量販店の販売員の方たちを200~300人ほど集めて説明会を行ったりしていました。これを繰り返していくうちに、緊張せずどこにでも出ることができて、どのような場でも話せるという自信がつきました。

プロデューサーというのは映画の企画を立てた場合、それがいかに面白くて、いかに商売になって、いかにメリットがあるかということを(周囲の人たちに)説明する仕事でもあります。その結果、お金を出資してもらう=制作費を集めるということがプロデューサーにとって一番大切な仕事です。

営業を経験したおかげで、これが誰よりも億劫なくできます。その意味で営業経験は時間の無駄ではなく、むしろプロデューサーになるための近道だったと言えるでしょう。

また、営業に配属され、自分のやりたかった映画の仕事に近づくために、時間を作って脚本スクールに通いました。やりたいことをスタートする瞬間のために、そういう時間の使い方もあるんですよね。あとは、入社後に自分の希望する部署に配属してくださいと、どれだけ直談判できるかも大切です。自分でも3年ほど直談判していました。

実現できることの「幅」を考えてプロデューサーを志す

──数ある映画業界の職種の中からプロデューサーを選択されたきっかけは何でしょうか。

ハリウッド映画が好きで、スティーヴン・スピルバーグ監督、ジョージ・ルーカス監督に憧れました。その方たちはみな映画監督をやると、権限がないからとプロデューサーに転身されたりするのです。そのため映画においては「プロデューサーが一番偉いのではないか」と感じて、プロデューサーを志しました。

「ファイナルカット権」といって、ハリウッドでは、映画の最終的な編集権はプロデューサーが持っているというのも本で読みました。だから「ディレクターズ・カット」(編集部註:監督=ディレクターが、劇場公開されたバージョンとは別に改めて編集した映画のバージョン)というものが制作されるのだと、納得しました。

あとは営業職を経験したので、プロデューサーの資質の方が備わったと感じます。もし演出という領域から入っていったら、監督業をしていたかもしれません。しかしビジネスという側面から映画を見るようになったので、プロデューサーというのが手っ取り早かったのと、この方法しかなかったというのもあります。

──映画監督をやってみたいと思うことはありますか?

ものすごくやりたい、ということではありません。プロデューサー兼監督というのはありかもしれませんが、今度は別の側面で、1つの良い作品を制作しようとした時に1人にあまりにも権限が集中し過ぎるというのは、作品にとってあまり良くないんじゃないかなと思うことがあります。作品にとって何がベストかという視点で考えないといけないような気がします。

深作欣二監督から1本の電話が来て運命の出会いに

──2000年に公開された「バトル・ロワイアル」という作品との出会いについて教えてください。

営業職の話と通じるものがありますが、営業職だったころは全国を担当していました。そのため日本中あちこちに出張していましたね。月曜日に出社して会議に参加し、午後から地方へ行き、巡回して金曜日に戻ってくるという生活になります。

このような場合、会社の中で大事になるのが、派遣勤務されている社員さんです。その人には電話でいろいろな仕事を依頼しなければなりません。そのため、出張から帰ってきたら必ずお土産を渡していたんですね。そしてそれは、映画部に異動してからも同じでした。

派遣社員の方たちは横の繋がりも強いので、絶対に大事にした方がよいのです。そのようなことを続けていたところ、派遣社員の中でも新人の方などは、重要な電話の内容などについて誰に聞いたらよいかわからなくなると、私に尋ねてくるようになりました。

ある日、会社の代表回線にかかってきた『深作様』からの電話に出た派遣社員の方がどう対応したらいいかわからず、私に助けを求めに来ました。私がその電話を替わったところ、あの『深作欣二』監督からの電話だったのです。

内容は、話をしたところ「バトル・ロワイアル」の企画を考えていて出資を募っているけれど、出資がなかなか集まらないので話を聞いてもらいたいというお話でした。

会った時に深作欣二さん健太さん親子から聴いた「バトル・ロワイアル」について出された条件は、半分は東映が出資するので半分は出資金を自分で集めてきてくださいと言われた、というものでした。WOWOWは製作出資をやったことがなかったので、自分も一緒に出資金を集めると伝えたのです。結果的に、WOWOWが残りの50%のうち一部を出資し、残りのスポンサーは深作親子と一緒に集めました。

──それにしても、深作欣二監督から代表電話に電話がかかってきたというのはすごいお話ですね。

深作欣二監督が電話をかけてこなければ、そもそも企画もできていなかったし、派遣社員の方が電話を受けてくれなかったり、自分以外の人が電話を受けたりしたら、断る結果になっていたかもしれません。いろいろなものがうまく繋がって成り立った企画だったのではないでしょうか。

──深作欣二監督と一緒に作品作りをされてみていかがでしたか。

すごかったです。

自分は映画作りは初めての経験で、何かとパワフルな深作欣二監督には驚かされることばかりでした。最初お会いした時は杖をついて来られ「この作品で私は最後です」と言っていたのですが、クランクインの何日か前に、「そろそろいいかな」と杖をつくのを止めてしまったのです。杖は演出のための小道具だったんでしょうか。

みんなに弱々しく見せ、映画制作に協力してもらえるように仕向ける演技だったのかもしれませんし、あるいは演出で元気を見せるための強がりだったのか。いずれにせよ、すごいのです。そんなパワーを持っている方でした。スター監督という感じです。人柄に魅了され深作欣二監督のドキュメンタリーフィルムも一緒に作りましたね。

「バトル・ロワイアル」を縁に独立の道を歩む

──2005年に独立されていらっしゃるのですね。

「バトル・ロワイアル」に出資してくださった会社の方の縁で、当時IMJエンターテイメントのグループ会社として映画製作会社STUDIO SWANを創立しています。

2006年「ただ、君を愛してる」という作品で、玉木宏さんと宮崎あおいさんの主演で大ヒットし、その年のTSUTAYAのレンタルランキング1位になるなど、「バトル・ロワイアル」シリーズで仲良くなった東映と一緒に作りました。

後にIMJグループを離れ、フリーランスとしてワーナー・ブラザース映画とプロデューサー契約を結んだのが2012年のことでした。

自分がプロデューサーを担当し、制作会社はどこでもよいというスタイルで映画製作を始めたのですが、これがすごくやりにくいのです。自分はフリーのプロデューサーですが、スタッフは制作会社から雇用されているため、スタッフとはっきりとした関係性を作るのが難しかったのです。後輩が役員をやっていたプラスディーというWEBマーケティングの会社がありましたので、2015年に映画製作部門をその会社で作ってもらい、そこで受託をするスタイルに変えました。

このスタイルがうまくいき始めたのと、自分の(プロデューサーとしての)経験値が上がってきたので、せっかくならと新会社を作って自分のチームとし、株式会社プラスディーの映像部門を人材と権利ごと全部買い上げる形で移籍させました。それがクレデウスの始まりです。

──創業時は何人でスタートされたのですか。

20人くらいの体制で今もあまり変わらないです。安定しています。

新卒の社員を最近1人入れました。何度もメールしてきて、あまりにも情熱があったからです。「新解釈・三國志」の現場にもインターンで入ってうちのスタッフも良く知っているし、後進を育成することはいいのではないかと部下にも勧められたので、採用しました。

営業など人と対峙する経験が長い方は優秀であるケースが多い

──中途採用はどのような方法で採用されていますか。

定期採用はしていません。

映画に対して情熱あふれる人は、ちゃんと履歴書を送ってくるので。WOWOW時代からの経験もあって、送付された履歴書を見て会って3分くらい話せば、どのような人なのか大体はわかります。

履歴書を盛っていないかは見ていますね。やたら煌びやかな履歴書というのはありますが、全く信用できないですね。それよりも人と対峙する仕事が多いので、営業や販売員といった仕事を長く続けている人は優秀だと感じます。

IMJグループ時代に、秋田で百貨店の販売員をしていて、映画の仕事をするためにどうしても東京に出たいという女性が面接に来ました。

すごく根性があるな、と。採用してくれるなら覚悟を決めて東京に出てきますと言われて、採用しました。今その人は転職してワーナー・ブラザースの宣伝プロデューサーをやっています。とても優秀ですよ。

──もちろん、映画との関わり方も重要視されるわけですよね。

それは当然です。

例えば映画の企画を作る際に、映画に関する共通言語を持たないとまず打ち合わせの内容についていかれません。既存の映画の場面に例えてイメージを伝えた時、すぐに理解できるかどうかはとても重要です。「その映画を見たことがありません」では会話にならないので、質の高い映画をたくさん見ている方が良いです。シェフが美味しい料理をなぜ作れるのかと言ったら、美味しい料理をたくさん食べてきたからです。映画も同じことです。

──映画業界で働く人にとって「一人前になる」とはどのようなことでしょうか。

「人として良い人間であること」です。

キャストさんでも、初めて仕事をする人に関しては全員面談をします。それは演技がどうかを見るのではなく、その人の「人となり」を見る面談だと言えるでしょう。

「この人は性格が良いな」「この人は悪いことをしないな」「この人は社会的に逸脱しないな」と思う人としか仕事をしたくないからです。それはクレデウスの社員、キャストやスタッフもみんな一緒という考えです。映画は1人の力で制作するわけではないので、チームワークができ、性格が良く、仲間とうまくやれる、そしてあふれる情熱を映画に対して持っているという人が必要な時代だと思います。

日本でコンテンツを突き詰めることが世界進出のきっかけになるのではないか

──会社を大きくしていきたいといったビジョンはお持ちですか。

あると言えばあります。ただ日本の映像業界は過渡期にきていると感じることが多くあり、今まで映画を制作していた方法論というのはあまり成り立たないなと思います。

一方でNetflixやAmazonのサービスがヒットしたり、いろんな会社がこれから大型ドラマを作ろうとしていたりと、時代が変化してきています。地上波ドラマの10倍の予算をかけるドラマをNetflixやAmazonが作ろうとしたりと、今までにない面白いことが起き始めています。そしてそれはメディア力や配給の強さが重視されていた時代から、作品自体の面白さやクオリティを重視する時代へと変化していると思います。

また、以前は日本の映画を海外に出すというのはとても大変なことでしたが、今は動画サブスクリプションサービスで簡単に見ることができる時代です。これらの流れを受けて考えると、日本の映画やドラマを日本で突き詰めておもしろくすることが、実は世界に進出することにつながるかもしれないと考えています。今は世界的に映画業界全体が、おもしろい変化の時期にあると思っています。

そして今まで中間業者として儲かっていた人たちがどんどんいなくなるでしょう。つまり、視聴してくださる観客と向き合っている人と、その端にいる映画をちゃんと制作している人が、うまくいけば正しく評価され成功するという時代に、これからなるのではないかと期待しているのです。しっかりとした制作費でクオリティの高い映画やドラマを制作する、それが正しく評価の判定を受ける、評価された作品やクリエイターは地位としても金銭的にも成功し、世界に羽ばたく。そうなっていけば映画業界で働く人にも夢が拡がりますよね?

──最後に、松橋さんにとって「エンタメ」とは?

世界に通用するエンタメを作ろうと思っているので、「アート」を作ろうという思考ではありませんでした。青森の電車もない街で育ちましたがハリウッド映画は見ることができて、夢と希望を与えてもらって育ちました。未だにそんな気持ちの人がどこかにいるかもしれません。そういう人たちにも楽しんでもらえるようなものを、ずっと作っていきたいと思っています。

また、緊急事態宣言で公開延期となった映画「夏への扉-キミのいる未来へ-」の公開日が6月25日(金)に決定しました。



これはここで答えたような、かつてハリウッド映画をドキドキしながら楽しんだ自分の感覚を思い切り詰め込んだ作品です。クライマックスに待つ、とっておきのサプライズをぜひ劇場で体感してもらえればと思います。加えて「新解釈・三國志」のDVD・Blu-rayが4月21日に発売されるのでぜひこちらもご覧いただけると嬉しいです。

2021年2月24日、株式会社クレデウスにて