有名な放送作家になるには?人気放送作家のエピソードもご紹介
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番組制作会社に新卒入社後、リサーチ会社に転職。
長年、テレビ番組などで扱う情報や映像などのリサーチャーとして勤務。
働く中で、エンタメ業界で人材が流動的なのを目の当たりにしたことをきっかけに、
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目次
有名な放送作家になるには?
有名な放送作家になるには、放送作家を早期に目指すことが大切です。高校を卒業し、大学生になる頃には、行動を起こしておいた方が良いでしょう。
放送作家養成コースのある放送に関する専門学校へ通ったり、放送作家が所属する事務所が運営する、養成スクールなどに通い始めたりといったことから始めましょう。
放送作家は主に、現場でディレクターの指示のもと、仕事をすることが多くあります。
そのため、有名な放送作家になるには、若いうちから実績を積み重ねる必要があります。
ディレクターは、自分より年上の放送作家には指示を出しにくくなるので、若い放送作家に仕事を依頼する傾向があります。また、現在有名な放送作家として活動している人のほとんどが、20代前半には、放送作家としての活動を開始しているのです。
有名な放送作家を目指すなら、将来を見据えた早めの行動が大切だということを覚えておきましょう。
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有名な放送作家の経歴と放送作家としてのエピソードをご紹介
2021年現在、放送作家として現場の第一線で活躍している人たちの経歴と、放送作家としてのエピソードをご紹介します。
秋元康さん
秋元康さんは放送作家以外にも、作詞家、プロデューサーとして活躍しています。
①経歴
秋元康さんの放送作家としての主な実績は次の通りです。
1985年「夕やけニャンニャン」構成
1988年「とんねるずのみなさんのおかげです」構成
1988年「季節はずれの海岸物語」監修
1993年「ポケベルが鳴らなくて」企画・原案
2010年~2018年「マジすか学園シリーズ」企画・原作
2018年「PRODUCE48」監修
1980年代から現在に至るまで、たくさんのヒット番組を手がけ、放送作家として構成・監修・企画など、さまざまな関わり方をしているのが特徴的と言えるでしょう。
②放送作家としてのエピソード
秋元康さんは、「放送作家として既成概念に囚われない」ということを大切にしています。たくさんの視聴者に愛される番組を制作するだけではなく、企画を差別化し、時には突出した試みを行うことを重要視しているのです。
放送作家を始めた当初は、割の良いアルバイトといった感覚だったそうですが、今では一流の放送作家として、次々にヒット番組を生みだしています。
青島幸男さん
青島幸男さんは放送作家以外にも、作詞家、小説家、俳優、東京都知事、参議院議員など、さまざまな才能を発揮し、「超マルチタレント」と呼ばれていました。
①経歴
青島幸男さんの放送作家としての主な実績は次の通りです。
1959年「おとなの漫画」脚本
1961年「シャボン玉ホリデー」構成
テレビの草創期に放送作家としてデビューし、1960年代には「最初に運転免許を取って美容師の免許を取って、映画も撮って、作詞作曲、監督、主演を全部やり、直木賞を取り、国会議員になる」と周囲の人に伝えていました。8年後までにこの全てを実現させた有言実行力が青島幸男さんの素晴らしい所だと言えるでしょう。
②放送作家としてのエピソード
青島幸男さんは、放送作家としての立場で「おとなの漫画」や「シャボン玉ホリデー」に自らも出演し、「青島だァ!」とギャグを飛ばしていました。放送作家というと裏方のイメージですが、これを覆してたくさんの視聴者を笑わせていたのです。
最近は、少しずつ放送作家にスポットライトが当たることも増えましたが、当時はこのようなことは珍しかったと言えます。
鈴木おさむさん
鈴木おさむさんは、放送作家以外にも作詞家・ラジオパーソナリティ・タレント・映画監督として活躍しています。
①経歴
鈴木おさむさんの放送作家としての主な実績は次の通りです。
1996年「SMAP×SMAP」作家
2001年「ココリコミラクルタイプ」構成
2001年「¥マネーの虎」構成
2013年「キスマイBUSAIKU!?」構成
ヒット番組を多数手がけ、映画監督や実業家など次々と活躍の場を広げていっています。これには、鈴木おさむさんの「放送作家の社会的評価をもっと高めたい」という思いが反映されているようです。
②放送作家としてのエピソード
放送作家は、何もない状態で企画を立てることはなく、プロデューサーやディレクターが放送枠や、おおまかな出演者のイメージを最初に考えた状態で、企画を依頼されることがほとんどです。そのため、鈴木おさむさんはこのような与えられた条件の下で、どのように想像力を働かせて企画を発展させるかに、力を注ぐようになりました。
その時に世の中の話題や流れを考えはするものの、ただ流行っているから取り上げるのではなく、「その背景にあるものを捉えたい」と考えながら企画をするようにしているのだそうです。
高須光聖さん
高須光聖さんは、ダウンタウンの幼なじみの放送作家としてその名を知られ、作詞家や脚本家、ラジオパーソナリティとしても活躍しています。
①経歴
高須光聖さんの放送作家としての主な実績は次の通りです。
1989年「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」構成作家
2008年「にけつッ!!」構成
2014年「水曜日のダウンタウン」構成
上京して大学を卒業したものの、就職を断念し、無為な日々を送っていた所、ダウンタウンの松本人志さんに声をかけられ、放送作家としての仕事を開始した話が有名です。その後も、裏方として働くだけではなく、ダウンタウンの番組に出演し続けて知名度を上げ、2003年には、日経エンタテインメント放送作家ランキング1位となっています。
②放送作家としてのエピソード
高須光聖さんは、「ダウンタウンのごっつええ感じ」の開始直後は週に100本ものコントを作っていたと言います。「逃げ出したい」という思いに駆られたこともあったそうですが、少しずつそのコントが採用されて放送され、会議などで発言する機会にも恵まれるようになったのが転機となったそうです。
放送作家としてチャンスを掴むには、どのような努力が必要なのかがよく理解できるエピソードだと言えるでしょう。
百田尚樹さん
百田尚樹さんは、「永遠の0」「海賊と呼ばれた男」など、小説家としてよく知られていますが、元々は放送作家としてのデビューの方が早いのです。
①経歴
百田尚樹さんの放送作家としての主な実績は次の通りです。
1988年「探偵!ナイトスクープ」構成
1996年「大発見!恐怖の法則」構成
百田尚樹さんは、同志社大学在学中に、素人参加型のバラエティ番組「ラブアタック!」に出演したのをきっかけに放送作家となりました。
②放送作家としてのエピソード
百田尚樹さんは放送作家として仕事をしながらも、出社時間も服装もあまり厳しくなかったことから、食いつなぐための仕事として捉え、「いずれはちゃんとした仕事に就かねば」とすら思っていたようです。
しかし、そのような中でも「探偵!ナイトスクープ」のチーフライターとして25年もの長い間努めてきたのですから、素晴らしい実績を残した放送作家であることは間違いありません。
木村祐一さん
木村祐一さんは、お笑い芸人としてデビューしましたが、その後放送作家、俳優、コラムニスト、料理愛好家など、さまざまなジャンルに活躍の場を広げています。
①経歴
木村祐一さんの放送作家としての主な実績は次の通りです。
1995年「ダウンタウンのごっつええ感じ」137回より構成
1997年「伊東家の食卓」構成
2001年「笑う犬」作家
お笑い芸人としてのとしての経験を活かし、主にバラエティ番組の構成を手がけていますが、最近ではトーク番組など新しいジャンルにも挑戦しています。
②放送作家としてのエピソード
木村祐一さんは、お笑い、料理、ファッション、演技、映画など幅広い分野に造詣が深いことで知られています。また、「ありとあらゆることをドッキリと疑ってしまう」ことから、常に物事をテレビの企画として捉える癖がついているといえるでしょう。自分が興味を持った分野での幅広い活動から、放送作家としての企画の種を見つけているのが伺えます。
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